人が病に倒れた時、
病むのは身体だけでなく精神もなのだということ。
そしてそれは病にかかったものだけではなく、
周りのものもなのだということを知ってほしい。



人間の身体は怪我をしても病気になっても、
それを治そうと必死に抵抗する。
生きる力は素晴らしい。
が同時に、
その闘いは時には死より苦しいこともある。



闘病というのがどんなに辛いことなのか、
本当にわかっている人はとても少ないように思う。
闘病というのは一秒一秒の苦しみなのだ。
そして身体と共に病んでいく心がまた苦しみに輪をかける。



一度病気になったら二つしかない。
治るか死ぬか。
それまでの一秒一秒が苦しみとの闘いだ。



病気になっても治療や手術をして治ればそれでいいと考える人がいるようだが、
一度病んだ身体も、
一度メスを入れた身体も、
二度と元と同じ身体には戻れないということを肝に銘じた方がいい。



身体が病めば、心も病む。
心が病めば、人との関わりがうまくできなくなる。
それでも心に愛があれば、
必ず美しいものを生み出すことができる。
見えない愛が人を救う力になる。



「時薬」という言葉がある。
時が薬になってくれる。
薬は病んだものを治してくれるわけではない。
治すのは自分自身。
薬は手助け。
時は手助けをしてくれる。



もしかしたら重病なのかもしれないと思った時、
それによって想像された人生の展開は大きく軌道を変えていた。
自分の日々の思いというものが、
いかに、現状が継続するという
なんの保証もない危うい基盤の上に成り立っているのかを痛感した。



物心ついた時から両親は共に病に苦しんでいた。
健康な両親というものを持ったことがない。
入院した両親の元に通うこと、
床に伏した両親の面倒を見ることは、
私の生活の一部だった。
健康であることの有り難味を身を持って知っている。
家族の中の一人の病は家族全体の病になるのだということを知ってほしい。




医者が病を治してくれるわけではないということ。
大病をして、つくづくそうなのだと身を持って感じた。
もちろん、医師は病を治す為に必要不可欠な存在ではあることには間違いはない。
でも、医学ができるのは、あくまでも「治る」ための手助け。
治すのは自分自身。






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