11施設を見学するのに、一日2施設として6日必要だった。
施設を地域毎にまとめ、見学のための予約を入れた。
満床であろうがなかろうが、この際、全てを周り、申し込みをするつもりだった。
到着の日から台風が来ていた。大荒れの天気。
だが、天気を理由に行動を変えてはいられない。たかだか雨と風だ。
それに、東京ほど雨に濡れることを怖れなければならないわけでもない。
荒れ狂う天気の中、施設周りを始めた。
思いがけず、C施設の相談員T氏から電話を受けたのは、N市に到着した翌日だった。
お断りはしますが、今後のことで相談には乗りますのでと、仰ってくださってはいた。
「あ、お久しぶりです」
T氏の「Hola!」という声に挨拶を返した。(私がスペインにいたことを知って以後、いつも電話での挨拶はこれが最初になっていた^^)
「その後、どうされましたか?施設はみつかりましたか?」
「いえいえ、まだなんです。一応、N市のK施設さんには申し込みをしたのですが、今はその返答待ちです。あ、今私、もう一度、来ているんですよ」
「え、こちらにですか??」
「はい、そうです。だって、C施設さんには断られてしまったから・・他の施設をみつけないとでしょ(笑)」
「そうなんですか!」
T氏は少し意外そうに返答された。そして、言葉を継がれた。
「K施設さんからのお返事が、どちらであっても、どうぞ教えてください。その後のこと、気になっていますので」
「ありがとうございます。お伝えしますね」
そんな会話をして電話を終えた。
翌日、6月13日、N市のK施設さんから、返答を頂いた。受け入れのお返事だった。
電話を受けたのは外出先。二つの施設を見学し終え、滞在先に向かって歩いている時だった。
思わず歩みを止め、深々と頭を下げた。ほっとした瞬間だった。
ほっとはしたが、安心しきることはできなかった。どこでどう転ぶかはわからない。K施設の相談員の方からも、受け入れることに決定しましたが、色々ご相談したいこともあるので、と再訪の要請も頂いていた。再訪の日は10施設巡り終えた最終日に決めた。
夢中で10施設の見学を終え、明日は、K施設への再訪という夜、C施設の相談員T氏から再び電話を頂いた。
「あ、Tさん。K施設さんからのご返事をお伝えしなければと思っていたんですが、毎日戻ると遅くなってしまっていて、ごめんなさい。一応、受け入れてくださるとのことです。それと、もう一つの施設からも受け入れのお返事も頂いています」
「あ、そうなんですか!よかったですね。もう一つの施設というのはどちらか伺ってもいいですか?」
「もちろんです」
私はその施設の名前を挙げた。
「ところで、明日の予定はどうなっていますか?」
「明日ですか?明日は、K施設さんに再訪して、相談員の方と色々お話しすることになっています」
「もし、よかったら、そちらの方まで参りますので、お目にかかれませんか?看護師のHと一緒に行きますので」
「え?あ、もちろん。喜んで」
せっかく、私がこちらまで来たからだろうか?それでも、わざわざ会いに来てくださるなんて、本当に良い方達なんだな、私はそんなことを思いながら申し出を快諾した。
K施設の相談員さんとのお話しは、やはり、病院のことだった。
受け入れ先病院が決まらない限り、K施設では母を受け入れることはできない。
K施設は、看取りはしない。となると、受け入れ先病院の確保は必須だった。
相談員の方は、これから候補先の病院と連絡を取るので、その後その病院から直接、私の方に連絡が行くことになるだろうということ、その際、私の口から、母の状況を詳しく伝えてほしいということを告げられた。
施設側では受け入れを快諾していてくださっていても、病院が見つからない限りそれ以上先へは進めない状態だった。
相談を終え、K施設を辞した後、C施設の相談員Tさん、看護師のHさんとの待ち合わせの場所に向かった。
お二人は、車で迎えに来てくださっていた。
どこか、ゆっくりお話しができるとところに行きましょうということで、車に乗り込み、軽い雑談を交えながら、今現在の私が対面している状況などをお話ししていった。
しばらく近辺を走った後、落ち着いたのは、チェーン展開しているカフェだった。
私としては、今現在の状況を伝え、これからの指針を仰ぐつもりだった。
週末のせいか、カフェはかなり込んでおり、席に着くまでしばらく時間がかかった。
注文した珈琲を前にようやく腰を落ち着けると、お二人は少し姿勢を正し、顔を見合わせた。
そして、
次に聞こえてきた言葉は、
「お母様を私達の施設で受け入れようと思います」
「え?!」
信じられなかった。
まるで、考えてもみない展開だった。
思わず、聞き返していた。
「・・・・あの・・・・、母を・・・・・、受け入れてくださるということですか??でも・・」
驚く私に、お二人は、噛み砕くように説明を始めた。
実際、母を受け入れることは簡単ではなかったこと。
私の申し込みを受けてすぐに病院探しを始めたが、いくつかに断られたこと。施設側としても、受け入れる自信を持てなかったこと。
「その状況で、中途半端に拘束していては、却って失礼だと思い、一度は断りをいれることにしたということはお話ししたか思います。ただ、・・・・」
看護師のHさんはそこまで言うと、言葉を切った。
相談員のTさんと再び顔を見合わせる。
一呼吸置いてH氏は言葉を継いだ。
「ゆみさんの必死さを目の当たりにしていて、そのままにしておけなかったんです」
「ええ、二人とも、その後どうされたかと気にかかって・・・・」
お二人は、一旦、断りを入れた後も、いくつもの病院に当たってみてくれていた。
そして、今現在は、T病院に打診していた。
「たぶん、T病院は大丈夫だと思います。でも、仮に、T病院が、受け入れを断ってきたとしても、どこかは探せます。ゆみさん、うちに来てください」
Hさんは仰られた。
私は、息を呑んだ。涙が溢れてきてしまった。
いくつも施設を見てきたが、私にとって、C施設以上のところは見つからなかった。
もう一つ、ここならと思うところを見つけてはいたが、そこは、かなり先まで満床だった。
「うちの施設に受け入れるに当たり、その前に、やはり、お母様にお目にかからなければなりません。東京に伺いたいと思っています」
私は絶句した。
移住先と東京は、飛行機で飛ぶ距離だ。
「え、東京にいらっしゃるんですか?」
「はい。主治医の先生ともお話ししたいですし、お父様ともお目にかかりたい。そして、何より、お母様の様子を実際に拝見したいです」
そこまでしてくださるということに、私は心から感謝した。その誠意に頭が下がる思いだった。
もし、これで断られることがあったとしても、本望だと思った。
こんな風に誠実に応対してくださる方がいらっしゃる限り、私はまた、一から始められる。
7月9日、お二人は、遠路はるばる東京にいらっしゃった。
私は羽田まで出向き、お二人を母の病院に案内した。
母の主治医であるM医師と面談し、母の状況について詳細なお話を交わされた。私は同席を許されなかった。その後、病院で待っていた父と会い、母にインタビューをした。
正式な返答を頂いたのは、7月11日。
14日から、施設での受け入れが可能とのことだった。
7月20日、私は母と共に、沖縄に飛んだ。
母の移住
その1 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68569298.html
その2 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68570443.html
その3 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68580827.html
その4 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68581056.html
父の移住 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68631491.html
親の人生の後片付け(私の場合) その1
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再会 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68636968.html
両親の移住 その後1 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68636747.html
両親の移住 その後2 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68644765.html