母が再び、施設に戻れるほどに快復するとは、全く思っていなかった。
そして、父がこんなにも早く、また施設を変わることになるとも。

母が施設に戻ることはできないと言われた(3月末)後、療養型病院への転院を請われた。転院先は入院している病院で探すとのことで、4月に入ってからその連絡を待っていた。

転院先が見つかりましたと相談員の方から連絡を頂いたのは、4月末、27日のことだった。すぐにでも移ってほしいということだったが、療養型病院なので、先に見学をさせてほしいとお願いした。

過去、東京で療養型病院をいくつか見学していた。そこは、まるで、死を待つ場所のように私には見えた。いつかは、母をそうした病院へ送らなければならないとしても、それは、最後の最期にしたいと思っていた。

翌28日、紹介された療養型病院の見学に行った。病院は、やはり以前に東京で見学したような、寝たきりの患者さん方が並ぶ場所だった。

今、現在の母も、そのような状態であれば、そうした病院への転院もいたし方ないかと思えるのかもしれなかったが、まだ、母は、良い時には、普通の会話ができる状態だった。
とてもその病院に入れる気持ちにはなれなかった。

病院先から相談員の方に連絡をし、その旨を伝えた。相談員の方は、では、また他を当たってみますと仰ってくださった。

その段階では、病院からの連絡を待つしかないのだろうと思った。


このこととは別に、4月18日、父は、以前に申し込んでいた首里城の近くにある施設Mホームの方から入所検討のためのインタビューを受けていた。

このMホームは、2016年6月、二度目に沖縄に施設探しに来た際、訪れていた施設だった。その時点で母の入所の申し込みはしたのだが、満室だったため、空きが出たら連絡をくださいとお願いしていた。その後、2016年末に、空きが出ましたと言う連絡を頂いていたが、その時には、母が移動できるような状態ではなく、お断りをした。

今回、父を沖縄に連れて来る際、今現在入所しているCホームが、最初、入所打診の段階で、受け入れに難色を示したため、このMホームにも入所の申し込みをしていた。

父が無事、Cホームに入れた後は、母が施設には戻れなくなったりしたこともあり、申し込んでいたMホームのことはすっかり忘れていた。

その施設からの面談申し込みということで、正直言って、父が行くことはないかな?と思いつつも、選択肢は多いほうがいいだろうと、とりあえずというつもりで面談をお願いした。

面談後の結果は、ゴールデンウィーク明けにということだった。


母にと紹介された療養型病院を断った後、何度か、母を見舞いに行った。
母は、驚くほど元気だった。何より、頭がはっきりしていた。これほど、混乱のない母を目にするのは、2015年に母が東京で入院して以来のように思えるほどの状態だった。

その様子を見て、もう一度施設に戻る可能性があるのではないだろうかと思い始めた。再び、医師に面談を求めた。

5月3日、母の担当医師と面談のため病院に出向いた。医師が待つ部屋に入り、椅子に腰を落ち着け、開こうとした途端、医師の方から言葉がかけられた。

「今の状態ですと、お母様は、療養型病院と言う感じではないですよね。施設に戻れるかと思います」
「・・・・あ、そうですか・・・でも、先生、施設の方は断ってしまったのですが・・・」
「大丈夫です。退院を促すことはしないので、気長に探してください」

早速、元の施設Cホームに連絡を取り、入所の検討をお願いした。
Cホームでは、一度退所してしまったので、また、一からやり直しになりますということだった。現在の段階で、入所希望者が数名いるので、母もその中に含めて考慮するというお返事だった。
いずれにしてもGW中は何も動きはない。明けるの待つしかなかった。

GWが明けた5月8日朝、首里城近くのMホームから連絡があった。父の受け入れが決まったということだった。
驚きだった。実は、父が選ばれる?とは全く思っていなかったからだった。
お返事はいつまでにと問うと、少なくとも、10日までにはお願いしたいと告げられた。

すぐにCホームに連絡を入れた。母の入所状況を問い合わせるためだった。
母は、入所順番待ちの二番目にあるということだった。
一番目の方の入所の有無が決まるのはいつ頃になるか尋ねると、その週のうちにはということだった。ということは仮に、最初の方が入所を何らかの事情で断ることになったとしても、母の入所に関しての検討が始まるのは、早くて、週末、遅ければ週明けになる。そのことを確認した上で、もう一つ可能性を尋ねた。

このことは、再度の入所を申し込んだ際にお尋ねしていたことだったが、それまでにお返事を頂いていなかったので、再度確認した。それは、父の代わりに、母を入れることが可能かどうかということだった。つまり父をCホームから出し、母を代わりに入れるということだ。

施設を選ぶに当たって、制約が多いのは重い病のある母の方だった。であるなら、父を他の施設に移し、母を元のCホームに入れる方がいいのではないかと思った。
即答はできないので、午後に、お返事をいたしますというお答えを頂いた。

その日の午後、早速、ダーリンとMホームの見学に向かった。
施設を訪れるのは、1年ぶりだった。一年前より、ピカピカ度は減っていたが、記憶していた通り、施設の充実度は申し分なかった。
私達にとって、何よりもよかったのは、両親がこちらの施設に入所したとしても、県内居住が絶対条件ではない、ということだった。

私達の拠点は、やはり、欧州にある。
ダーリンの仕事の取引先も欧州にあり、日本にいる以上、昼夜逆転の生活を余儀なくされていた。この生活を長く続けることにはどうしても無理があった。

見学を終え、タクシーを待っている間に、Cホームから連絡が入った。朝のうちに問い合わせていた返事だった。

朝の段階では、母は、順番待ちの2番目だったが、午後にはトップになっていた。その週のうちに母にインタビューをし、受け入れをするかどうか決めたいということだった。もう一つの質問、父と母との入れ替えについては、事務手続き上、不可能というお返事だった。

帰途、二人で話し合った。

どうするべきなのか。

このままでいけば、恐らく、母はCホームに戻ってくることができ、父と同じ施設で、過ごすことができるようになる。それがどのぐらいの期間になるかはわからないとしても、当初の予定通り、二人は同じ場所で生活することができる。
でも、今、Mホームのオファーを断ってしまえば、今度のチャンスはいつ来るかはわからない。それも、二人一度にとなると、入所の可能性は遠のく。

短期的に考えれば、母と父を同じ施設に置くということが望ましいのはわかっていた。
が、長期的に考えた場合、Cホームに両親を入れて置く以上、私達は、この地に縛り付けられたままだった。
Cホームは、家族のだれかが、必ず傍にいることを要請していた。ということは、家族での旅行も叶わない。例えば、イギリスの両親に、二人で会いに行くこともできないということだった。

両親には申し訳ないと思ったが、私達は、父を先にMホームに移すことに心が向いた。
もちろん、父に話し、同意を得られれば・・

Mホームに見学に行った翌日、父に話しに言った。父は、反対するどころか、自分から、そちらに行くと言ってくれた。


父は、明日5月13日、Cホームを退所し、Mホームに移る。

母は、5月15日に元の施設Cホームに戻ってくることになった。




母の移住
その1 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68569298.html
その2 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68570443.html
その3 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68580827.html
その4 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68581056.html

父の移住 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68631491.html

親の人生の後片付け(私の場合) その1
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再会 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68636968.html

両親の移住 その後1 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68636747.html
両親の移住 その後2 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68644765.html