思いがめぐる

2017年07月




何度となく耳にしたことがある言葉だったが、出典を知らなかった。
調べてみると、出典は北宋の儒学者・周茂叔の述べた『愛蓮説』「予独愛蓮之出淤泥而不染」という一節からとあった。



蓮の池




     愛蓮説 (蓮を愛するの説) 
                       周敦頤

水陸草木之花,可愛者甚蕃。
水陸草木の花、愛すべき者甚だ蕃(おお)し。

晋陶淵明独愛菊;
晋の陶淵明、独り菊を愛す。

自李唐来,世人盛愛牡丹;
李唐自(よ)りこのかた、世人甚だ牡丹を愛す。

予独愛蓮之出淤泥而不染,濯清涟而不妖,
予独り蓮の汚泥より出でて染まらず、清漣に濯(あら)はれて妖ならず、

中通外直,不蔓不枝,香遠益清,
中通じ外直く、蔓(まん)あらず枝あらず、香遠くして益々清く、

亭亭浄植,
亭亭として浄(きよ)く植(た)ち、

可遠観而不可亵翫焉。
遠観すべくして褻翫(せつがん)すべからざるを愛す。

予謂菊,花之隐逸者也;
予謂へらく、菊は花の隠逸なる者なり。

牡丹,花之富貴者也;
牡丹は花の富貴なる者なり。

蓮,花之君子者也。
蓮は花の君子なる者なりと。

噫!菊之爱,陶後鮮有聞;
噫(ああ)、菊を之れ愛するは、陶の後、聞く有ること鮮(すくな)し。

蓮之愛,同予者何人;
蓮を之れ愛するは、予に同じき者何人ぞ。

牡丹之愛,宜乎衆矣。
牡丹を之れ愛するは、宣(むべ)なるかな衆(おお)きこと。



[ 現代語訳 ]

水中・陸上の草木の花には、愛すべきものが非常に多い。

晋の陶淵明はひとり菊を愛した。

唐王朝以来、世間の人はとても牡丹を愛している。

私ひとりは、泥の中から出ても染まらず、

清らかなさざ波に洗われてもなまめかしくなく、

茎の中は穴が通っていて外側はまっすぐに伸び、

蔓もなければ枝もなく、香りは遠くなるほどますます清らかに漂い、

すっきりと高く清らかに立ち、遠くから眺めることはできるが、

手元に置いてもてあそぶことはできない、そんな蓮の花を愛す。

私が思うには、菊の花は隠逸の人物であり、

牡丹の花は富貴な人物であり、蓮の花は君子たる人物である。

ああ、菊を愛するのは、陶淵明の後、耳に入ることが少ない。

蓮を愛するのは、私と同等の人は何人ほどいるだろう。 

牡丹を愛するのは、多くの人が愛しても当然だ。


蓮




周敦頤は、蓮の花が泥から出て泥に染まらない高潔さをたたえながら、
華美なものばかりを賛美する当時の世相を風刺したらしい。


周敦頤(しゅうとんい、1017年-1073年)は北宋の儒学者。
現在の湖南省に位置する道州営道の出身。
字は茂叔、号は濂渓。
また周恩来や魯迅(周樹人)の先祖とも言われている。



大乗仏教経典『妙法蓮華経』の従地涌出品(じゅうじゆじゅつほん)第十五には、
「不染世間法 如蓮華在水」(世間の法に染まらざること、蓮華が泥水にあるが如し)とあるそう。

「蓮葉の 濁りに染まぬ 心もて なにかは露を 玉とあざむく」 僧正遍昭






古名「はちす」は、花托の形状を蜂の巣に見立てたとするのを通説とする。「はす」はその転訛。
水芙蓉(すいふよう、みずふよう)、もしくは単に芙蓉(ふよう)、不語仙(ふごせん)、池見草(いけみぐさ)、水の花などの異称をもつ。
漢字では「蓮」のほかに「荷」または「藕」の字をあてる。
ハスの花と睡蓮を指して「蓮華」(れんげ)といい、仏教とともに伝来し古くから使われた名である。
また地下茎は「蓮根」(れんこん、はすね)といい、野菜名として通用する。
属名 Nelumbo はシンハラ語から。種小名 nucifera はラテン語の形容詞で「ナッツの実のなる」の意。
英名 lotus はギリシア語由来で、元はエジプトに自生するスイレンの一種「ヨザキスイレン」 Nymphaea lotus を指したものという。
7月の誕生花であり、夏の季語。
花言葉は「雄弁」。



「蓮」と「睡蓮」の違い

• 「睡蓮」=水面で花。「蓮」=水面より上で花。
• 「睡蓮」=葉に撥水性なし。「蓮」=葉に撥水性あり。
• 「睡蓮」=葉に光沢あり。「蓮」=葉に光沢なし。
• 「睡蓮」=円形から楕円形で切込みがある。 「蓮」=円形で切込みがない。
• レンコンは「蓮」の根。
• 「睡蓮」=スイレン目スイレン科。「蓮」=ヤマモガシ目ハス科。
• ロータス=「睡蓮」と「蓮」の総称。



睡蓮

睡蓮


蓮と葉




仏教でいう蓮は本来は睡蓮のことである。
如来像の台座である蓮華座は蓮華を象っている。
厨子の扉の内側には蓮華の彫刻が施されている。
主に寺院では仏前に「常花」(じょうか)と呼ばれる金色の木製の蓮華が置かれている。
死後に極楽浄土に往生し、同じ蓮花の上に生まれ変わって身を託すという思想があり、「一蓮托生」という言葉の語源になっている。



睡蓮 3















5月21日、遠方から沖縄に保養に来た友人と午後落ち合う約束をしていた。
施設から連絡をもらったのは、お昼少し前だった。母が転倒したとのこと。
「ただ、今は歩行器で歩いていらっしゃいますし、痛いと言っていらっしゃるけれど、起き上がれるので大丈夫かとは思いますが、娘さんを呼んでほしいと仰られているんですよね。今日、来られますか?」
一瞬、返答に迷った。
「・・・今日は、・・・・出かけることになっているのですが、でも、もし・・」と言いかける。
「それではまた様子を見まして、何かありましたらご連絡いたします」
外出するまでにはいましらばく時間があった。
「出かけるまでにまだ時間がありますので、とりあえず、参ります」
電話を切り、すぐにアパートを後にした。

3月7日から続いていた入院から施設に戻ったのが5月15日だった。まだ、一週間と経っていない。
施設に着き、部屋に急ぐと、母はベッドで眠っていた。
ロビーに行き、スタッフの方に様子を聞いてみる。
本人は転倒したと言っているが、見ていないのでわからないのだが、朝食は普通にとっていたので、大丈夫ではないかと思うという。
念のため、看護師さんにも様子を聞くため3階に行く。やはり、大丈夫ではないだろうかと言う返事だった。
部屋に戻ると、母は目を覚ましていた。
「大丈夫?」と声をかける。
転んだということを訴えてきた。痛くて起き上がれないと言う。再び、看護師さんを呼びに行き、部屋まで来てもらった。

「お昼は食べたいと言っているんですよね。痛かったらそれどころではないので、大丈夫ではないかと思うのですが・・」と部屋に向かう途中で仰られる。
看護師さんが部屋に入り、母に声をかける。母は、病院に行きたいと訴える。

看護師「お昼はどうする?」

母「食べます」

看護師「病院に行くんなら、お昼は食べないで行かないと・・骨折していたら痛くてご飯は食べられないと思うよ」

母「・・・・」

というようなやり取りが続き、母は昼食にロビーに出てきた。
看護師さんは、というような状態なので大丈夫ではないかと思うと仰られる。スタッフも看護師さんもそう言うのであれば・・・、
「そうですか・・・では、何かありましたらご連絡ください」
そうお願いして施設をあとにした。

久しぶりの外出だった。それも家族では、この地に揃って初めてのことだった。もちろん、スマホは傍らに置き、いつでも、連絡が入れば応答できるようにしていた。
友との会話を楽しみ、午後4時過ぎ、帰りのバスに乗った。そこで、初めてバッグからスマホを取り出してチェックしてみると、施設から再三、電話が入っていた。
なぜ気づかなかったのだろうと訝りながら、慌てて、連絡をする。やはり母を病院に連れて行った方がいいとのこと。ただ、もう遅いので、明日にということになった。

5月22日朝、母をCT病院の整形外科に連れて行った。
レントゲンを撮った段階では、新たな骨折は見られないということだったが、MRIも必要ということで検査入院となった。
MRIの検査結果について、病院から何らかの連絡があるのではないかと思ったが、何もなかったので、翌翌日問い合わせの電話をしてみた。が、電話での返答はできないので、医師と面談をしてほしいと言う。
MRIの検査結果を聞くためだけに、バスで半時間以上もかけて病院に行くのは、一時間に一本あたりのバスの便から考えると容易いことではなかった。相談員の方に連絡を取り、そのことを伝えてみると、医師から電話をもらえることになった。

5月26日、担当の外間医師が電話をかけてきてくれた。
12番目の圧迫骨折とのこと。
「以前のように、リハビリ病院に行くことになるのでしょうか?」と問うと、週明けにレントゲンを撮り、それにより、今後のことを決めることになるとのこと。

5月27日、母の見舞いに行くが、母は寝ていた。

週明け、レントゲンの結果を聞くため、相談員の方に電話を入れた。
相談員の方は、以前のこともあるので(3月初めの圧迫骨折の際、リハビリ病院に移ったが2日ほどで意識障害が起き、元に病院に逆戻りになってしまった)、リハビリ病院にはいかず、今の病院でリハビリをした後、施設に戻ることになると伝えられた。その後、担当医から再び電話。やはり、リハビリ病院に行った方がいいと告げられた。

今現在入院しているTC病院 ⇒ リハビリ病院 ⇒ 施設
という流れにどのくらいの時間がかかるのかわからなかったが、それをそのまま享受するとすれば、絶えず、二つの場所に費用を払い続けなければならない。既に、母は、今年に入ってから二つの場所を行ったり来たりしており、常に二重に費用がかかっていた。
ただ、今入っている施設を継続しないとすれば、リハビリ病院を終えた後、行き場所を考える必要がある。
父が入っているMホームにも、母の入所申し込みはしてあったが、それがいつ可能となるかは現段階ではわからなかった。リハビリ病院を終えた段階で、Mホームの受け入れが可能となれば、一番望ましいのだが、それは保証の限りではなかった。

今回母のCホームとの契約は、5月15日から6月14日までになっており、その前にどうするかを決めなければならなかった。
相談員の方に連絡し、事情を説明した。
いずれにしても、O市にあるリハビリ病院に転院の可能性を問い合わせてみるという。それに加えて、父が入所しているMホームの関連施設である、介護老人保健施設にも可能性を打診してみるということになった。
母の施設との契約が6月14日までとなっていることも告げてあったのだが、相談員の方からは、中々、お返事が頂けなかった。

6月12日、再び相談員の方に連絡をし、14日までに、リハビリ病院と老健へ移る可能性についての何らかの回答を頂きたいとお願いする。
翌13日、ようやく返答を頂いた。
O市にあるリハビリ病院はどちらも、母の内臓疾患を懸念しており、受け入れに難色を示しており、老健は空きがないとのことだった。
であるならば、Mホームに移るまでは、Cホームにいるしかない。

6月13日、MホームのKさんが父を母の入院先の病院に連れてきてくれることになっていた。
11時少し過ぎ、母の病室に着く。母は眠っていた。
11時半ごろ、父がMホームのKさんと看護師の方に連れられて病院にやってきた。それを追う様に、病院の相談員の方も病室に来てくださった。
母の状況をKさんに伝えると、相談員の方も加わり、話し合いとなった。
Kさんが、父と母をなるべく近くにいさせるために、母をMホーム近くのリハビリ病院に入れることを考慮してみてはどうだろうと提案してくれた。
その提案を受け、相談員の方が、いくつかのリハビリ病院を連絡をしてくださることになった。
ただ、仮に、Mホーム近くのリハビリ病院に入れたとしても、リハビリ病院を終えられた後に、Mホームに空きがなければ、それまでの行き先を考えなければならないという問題は以前としてあった。
また、リハビリ病院がMホーム近辺となれば、今住んでいる場所からはかなり遠くなるため、そのことも考慮しなければならなかった。その方面に越す方が無論いいのだが、母の落ち着き先が確定していない状況でアパートを決めるのは躊躇われた。
いずれにしても、相談員さんの調査結果を翌日まで待つことにし、病院を後にした。

翌日、6月14日、午前中の時点で、Mホーム近辺のリハビリ病院からの返答を聞くことは出来なかった。
ダーリンと相談し、やはり、一度、母にCホームに戻ってもらうことにした。
リハビリの可能性を閉ざしてしまうのは申し訳なかったが、私自身も頑張りの限界だった。
午後、Cホームに連絡をし、契約の延長をお願いする。

6月15日、相談員さんから連絡が入った。Mホーム近辺のリハビリ病院が受け入れをOKしてくれたこと、そして、今になり、O市のリハビリ病院からも承諾の返事を頂いたといううことだった。事情を説明し、今回はcホームに戻すことにしたことを告げる。
MホーのKさんにも連絡を取り、その旨を伝えた。

6月20日、母がCホームに戻ってきた。
母は、立ち上がることはできなくなってしまった。結果、トイレも行くことができな いため、おむつのお世話になることになる。
その日以降、毎日施設に通い始める。
母は、食事とおやつの時以外は、ほとんどベッドに横になっており、覚醒している時間も極僅かという状態になってしまった。

6月27日、血尿が出た。
入院中にも起きていたことで、膀胱炎ということで、抗生物質を処方され、その時点では一時よくなっていた。看護師さんと相談する。再発したのだろうが、今、急ぎ、病院に行ってみても診療を受けるためだけでもかなりの時間がかかるので、様子を見た方がいいだろうということになった。
退院時に、薬の量が増え、コレステロールの薬も処方されていた。薬の量はなるべく抑えたかったので、やめていただくようお願いする。

6月28日、母と父が電話で話をする。
放ったままにしてある、東京の家が気になり、友人に連絡をし、風を通してもらうようにお願いをする。

日々通ううちに、母の足の浮腫みが徐々に悪化してきているのに気づいた。次回の診療予約は、7月21日となっていて、2週間ほど先だった。予約を早めてもらおうと病院に連絡をしてみるが、担当医師の空きがなくできなかった。仕方なく、7月10日、予約外で診療を受けるため病院に赴いた。
朝9時半に受付し、午後4時半までかかる。
結局、担当医師に診察してもらう必要があるとのことで、7月14日、もう一度、病院に行くことになった。

7月14日、担当医師の診察の結果、入院となった。

今年に入り、母の入院は
1月19日から2月3日
3月7日から5月15日
5月22日から6月20日
7月14日から・・・
半分以上の日々を、病院で過ごしてしまっている。






母の移住
その1 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68569298.html
その2 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68570443.html
その3 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68580827.html
その4 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68581056.html

父の移住 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68631491.html

親の人生の後片付け(私の場合) その1
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再会 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68636968.html

両親の移住 その後1 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68636747.html
両親の移住 その後2 http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68644765.html





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