人生はフェアではない。
そんなことは誰でも知っている。
恵まれた人生のスタートを切る人々もいれば、そうではない人もいる。
ただ、恵まれた人々は、そうではない人々の境遇に思いを馳せることはあまりない。
なぜなら、今の自分の状況を当たり前と思うから。

それはとても普通のこと。
誰しも生れ落ちた環境を当然と感じて育つ。
その途上で、自分とは違う環境の人を見たとしても、「上」は見えても、「下」は見えない。
或いは、見たとしても理解できない。
人は「持っていない」という状況を想像する力は弱いのかもしれない。

恵まれない、或いは、恵まれている。

そうした状況が人生にどういう違いをもたらすのか、
その一例を可視化した動画がここにある。

これは、もちろん人生の不公平さの全てではない。
が、その一端をとても上手く可視化していると思う。

見てみて欲しい。




If someone doesn't understand privilege show them this
(恵まれているということが、どういうことなのか、理解できていない人がいたとしたら、その方に、この動画を見せてみてほしい。)


最初にこの動画をご紹介いただいた時には、日本語字幕版がなかっため、
急ぎ意訳したものです。


フィールドに集まった若者達に男性が声をかける。

「これからレースをする。
優勝者の賞金はこの100ドルだ。
さぁ並んだ並んだ」

若者達はラインに並ぶ。

「レースを始める前に、私はいくつかの質問をする。
それに当て嵌まるものは二歩前にでてほしい。
当て嵌まらないものは、そこにそのままいてくれ。
では始める」

①両親が今も結婚している
②父親代わりになる人がいる家庭で育った
③私学教育を受けられた
③家庭教師をつけてもらえた
④スマホが突然使えなくなるなどということを心配したことがない(支払いができずに)
⑤両親の支払いを助けなければならなかったなどという経験はない
⑥大学の授業料を払わなくて済んだのは、スポーツ技能のお陰ではなかった。
⑦次の食事の心配をしたことがない

「さあ、前に進み出たものは、振り返ってみてほしい」

「今私が訊いたことは全く君らの行いとは関係がない。
君らが決めたこととか、君らがしたこととかは全く無関係だ。
でも、前にこれだけ進んでいる人々が
この100ドル札を手に入れるのに有利だということは疑いがない。

じゃ、後ろにいるものはこのレースに参加できないのか?
もちろんそんなことはない。
だが、
前にでているものたちが、自分達が有利な立場にあることに気づかないとしたら、
愚かとしかいいようがない。

自分が有利な立場にあることを気づいていないかもしれない。
或いは、認めたくないかもしれない。
でも、現実としてそうなんだ。
スタートからにして違うんだ。

条件がどうであれ、後ろにいるものも、前にいるもものも
レースには参加しなければならないのは同じだ。

このレースで誰が100ドルを勝ち得るかはわからない。
だが、もし、今日のこの経験を他の人の境遇を
知ろうという機会にしようと思わないものがいるとしたら、大変愚かだと思う。

実際、これは公平なレースだ。
もし、みんなが同じスタートラインに立っていたとしたら、絶対敵わない相手がいるはずだ。
にも関わらず、
自分が前に進み出ているという有利な立場であることで勝つことができる場合がある。
そして、それが今の世だ。

今の位置に立っているのは、君がしたこととは無関係だ。

では、レースを始める。
位置について、
ヨーイ
ドン!!」


「最後に、もう一度繰り返す。
今日のこの経験から、何も学ばないとしたら、愚かだ」

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3:17 世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、
どうして神の愛がとどまっているでしょう。
3:18 子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、
行ないと真実をもって愛そうではありませんか。
第一ヨハネ



この動画は米国で作られたもので、多分に人種における差が可視化されている。
同様のものが日本で作られたとしたら、どんな情景が映しだされるのだろう。
同じ人種の中であってももちろん差は存在する。
そうした実態に気づくことで、よりよい方向に変えられることもあると信じたい。