思いがめぐる

カテゴリ: シドニーのきらめく光の中で







2月の初め、わが家のニャンコ、プリンセスgooがつれてきてくれたヤモリのノロ。 (2010年シドニー)

http://blog.livedoor.jp/ygjumi/archives/68586247.html


2週間ほどは食欲もなく、動きも鈍かったのですが、3週目辺りから俄然元気になりました。

尻尾もチョビット生え始め、



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動きも素早くなってきたので、2月最後の日、近くのブッシュに返しました。



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ノロの旅立ちに温かいエールを送ってあげてくださいませ。



noro 3




ノロは、オーストラリア平尾守宮という種類だそうです。
http://www.botanic.jp/animal
/ausyam.htm





(2010年03月09日)










シドニーでの想い出・・・・



まさか爬虫類をペットとして可愛がるなんて微塵も考えたことがなかった。
日本に居た時も、イギリスに居た時も。
その頃には、目にした途端、逃げていたか涙ぐんでいたというのが実状だ。

でも、今はメロメロである。
可愛くて愛しくてペロペロ舐めてしまいたいよう。
もちろん、毎朝毎晩のキスは欠かせない。

爬虫類が大嫌いという人が聞いたら鳥肌ものだろう。
いや、それ以上かもしれない。

でも、可愛い。もうメチャクチャ可愛い。
我が家ではGirlsと呼んでいる。
恐らく全部が女の子と踏んでのことである。
間違っているかもしれないけれど、この際そんなことはどうでもいい。

我が家にガールズは7匹いる。
もちろん、それぞれに名前がついている。
違いがわかるの?なんてけしからんことを言う輩が時々いるが、
それは、あなたの奥さん(或いは彼女)と他の女性の区別がつく?と聞いているぐらい失礼なことだ。
それぞれに個性があり、容姿も性格も違う。

7人じゃなかった、7匹の特徴をそれぞれここで披露しても
興味のない人には欠伸ものだろうと思うので割愛するが、
それぞれがそれぞれにゴージャスだ。

長い胴体と短い四肢を持ち、のんびりと歩く。
青い舌をチョロチョロ、チョロチョロと出して探索する。
雑食なので、何でも食べる。
体が温まるとかなり俊敏に動き回るが冷たいとほとんど動けない。
寿命は20年ほど。
成長すると1メートル近くになる。
我が家のGirlsは、青舌トカゲ。
日本に生息すると言い伝えられている未確認動物ツチノコにとても似ているらしい。

(2009年5月9日)




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プージャが砂浜を散策した跡です。



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英国の陽射しの下、一番美しく見えた色は、赤でした。
リンゴの赤。
赤い木の実。
街中で目にする服の赤。
どんよりとした曇り空の下、赤がとても深みを持って映りました。

オーストラリアに来て、目を惹かれた色は紫。
紫匂ふ花々が一際美しく見えました。

考えてみると、ちょうど、対極。
赤と紫は、人間が目にすることのできる光の端と端。
一番長い波と一番短い波です。





ジャカランダ Jacaranda

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初めて、目にした時、思わず息を呑みました。
まるで藤色の桜。
ハワイでは、この花を桜に見立てて愛でると聞いています。
何より桜を思わせるのは、その散り方。
はらはらと
さらさら、
風に舞い
美しい絨毯を木の周りに広げます。





アガパンサス Agapanthus

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すくっと立ち上がった茎の上に、
手鞠のように丸い形に花を咲かせます。
遠めに見ると、紫のシャボン玉が踊るようです。
このお花の名、ギリシア語で「愛の花」という意味。
和名は、紫君子蘭です。





そして、匂番茉莉 Yesterday Today and Tomorrow

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紫色で花開き、藤色から白色にと花弁の色を変えていきます。
茉莉というだけあって、香りも美妙。
ひとつの木に三色の花が咲き揃う様は、えも言えず魅惑的。
英名も、ちょっと、素敵です。
Yestreday Today and Tomorrow
もう一つの名が
Kiss me quick
花の色が変わってしまう前にキスしてね、という意味。
恋人に渡したくなりますね。











シドニーに住んでいたとき、毎朝、息子の学校まで一緒に歩いていた。
その途上に小川があり、そこで、毎日出会うトカゲがいた。


                * * * * *

 トカゲは、日の当たる大きな石の上に、長々とその身体を伸ばしていた。顔を太陽の方に向けて、ほんの少しの光も逃さないぞみたいな格好でお日様を仰いでいる。両手を石の上に置いて、両腕でしっかり、上半身を支え、首が、くっと伸びている。長い尻尾の先が、石からはみ出ないように少し丸まっていた。身体についた模様が、光に映えてキラキラして見える。

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 僕らは、そのトカゲに、名前をつけることにした。
 しばらく考えて、スパイキーと言う名に決めた。その日から、スパイキーに朝の挨拶をするようになった。

 スパイキーは、オセアニア・ウォーター・ドラゴンという種類のトカゲだった。大きくなると九十センチメートルにもなる。学校に持っていく三十センチメートルの定規を三つ並べた長さだ。スパイキーは、それよりは、少しだけ短いようだった。いつ小川に行っても、スパイキーは、日が良く当たる大きな石の上にじっとして、太陽に顔を向けていた。良く見ると、手に指がある。それを紅葉みたいにきれいに開いている。頭の後ろにはギザギザがあって、ずっと尻尾の先まで続いていた。目の下には黒い線が入っていて、黒い涙の跡みたいに見える。

 ママがコンピュータでスパイキーのことを調べた。
「水陸両性なんだって」
「水の中でも生きられるってこと?」
「そうね、お水の中にも潜っていられるみたいよ。性格は臆病って書いてある」
「それは、スパイキーに失礼だよ」
 僕は抗議した。
「そうね、すぐ、逃げるからって、それが臆病だからかどうか聞いてみないとわかんなわよね。人間から見たら、そう思えるって言うことね」

『サム』
https://www.amazon.co.jp/dp/B00G0SGSFW


                * * * * *  


≪オセアニア・ウォター・ドラゴン≫

イグアナ科オーストラリアミズトカゲ属の爬虫類です。
学名: Physignathus lesueurii
英名:  Eastern water dragon













シドニーで二度目の春を迎えたある朝。
陽射しの射すリビングに置かれた電話が音を上げた。

受話器を取ったのはダーリンだった。
 
朝早くの電話。
私は息子を送り出そうと玄関先にいた。
耳に入ってくるダーリンの言葉から、それが訃報を告げているのだとわかるまで、どれぐらいかかったのだろう。
頭の中で、そのことが確信に変わった瞬間、涙が流れてきた。

電話は、亡くなった方のご主人からだった。

お二人はオーストラリアに来てから知り合ったご夫妻だった。
ご主人はイギリス人。
奥様はユダヤの方。

シドニーでは、大晦日に恒例となっている花火大会がある。
大晦日の午後9時と、夜中の12時に、オペラハウスとシドニー・ハーバー・ブリッジの頭上をいくつもの花火が彩る。

その人気は大変なもので、観賞の場所を確保するのは至難の業だ。
オーストラリアで、初めて迎える年の終わり。
無論、私たちも見に行きたい気持ちは山々だったが、そんな事情があったため、半ばあきらめていた。
その花火大会を見にこないかと、知り合って間もない私達を招待してくださったのがご夫妻だった。
お二人の住まいは、オペラハウスを見下ろす場所にあった。

奥様は明けた年の8月の半ば、70歳の誕生日を迎えられた。ご主人がサプライズ・パーティーを企画した。
音楽一家のご家族なのでで、パーティーは盛大なコンサートだった。

ご主人は、奥様を、お孫さんの一人がコンサートで演奏するので、それを聞きに行こうと誘い出しパーティーの会場に連れて行った。
奥様はもちろんコンサートだと思い会場に足を踏み入れられた。
その途端、扉の向こうに、たくさんの人々の笑顔。そして、「ハッピー・バースデー」の声。
奥様の表情が驚きから、感激に、そして、涙に覆われるのを見て、私も思わず涙ぐんだ。

それが、最後になってしまった。

生まれたときから背骨が湾曲している難病を抱え、病と闘い続けた一生だった。
それでも、そんな陰など微塵も感じさせず、賢く、明るい、気丈な方だった。

お邪魔した際、何気なく折った折り紙をとても喜んでくださり、今度は、折りためた作品を持って伺おうと思っていた。
そんな矢先の訃報だった。
せめて、もう一度、顔を見たかった。











遠出をしない休日には、よく森に行く。

三つの散策コースを辿ると、一巡りすることができる。
丁寧に歩いていくと、ちょうど、一時間、
森を彷徨うのには、ほどよい長さだ。

一歩一歩土を踏みしめるようにして歩く
見上げると、ユーカリの木々が空に向かっている。
青い空に少しでも近づこうと、上へ上へと枝を張る。


森



サワサワサワ
足元で風が騒ぐ。
俯くと
とがげの尻尾が目の端に入る。
姿を捉えようと目を凝らしても、残っているのは、音の余韻だけ


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木々に囲まれると、気持ちが安らぐ。
深くゆっくり息を吸う
透き通るような香りがする
繋いだ手の感覚が薄くなり
三人が一つになったような気持ちがする。
森は、心地よく身体を包み、
ゆりかごのように揺れる
光が舌に甘い

少しだけ疲れを感じる頃、
カフェに向かう。

ランチ・タイムは、いつでも人で溢れている。
運ばれるトレイの上では、
ボリュームのあるランチとデザートがスイングする


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このカフェに来るのは、ゆっくりと動くようになった人々
人生の春と夏を過ぎ、秋に佇む人々。
初冬に足を踏み入れた人々
再び、森の声がよく聞こえるようになった人々
レイのギターが聞こえてくる。
ギターの音色は、森の合間を縫うように響く。

コーヒーとケーキのひと時が始まる。









「パパ~、ママ~、野生のハリモグラがいた~!」

と、息子が息せき切って玄関の扉を開けた。
シドニーに来て4度目の秋(2009年の4月のある日)のこと。
息子の背中にはこれでもかみたいに重いスクールカバン。
顔を見ると、汗が流れていた。

「え、どこに?」

「リザーブのとこ!あそこにいたら危ないよ。車に轢かれちゃうかもしれない」

ダーリンと私は飛び出した。
リザーブは直ぐそこだけど車に乗る。
凄い勢いでリザーブまで走らせる。
ハリモグラ君は道路脇のリザーブの入口のところにしがみ付いていた。
でも、もそもそと道路の方に出てきたら危険だ。

ダーリンは着ていたシャツを脱ぎ、ハリモグラ君の身体を包んだ。
何とか持ち上げてリザーブの中に戻そうというわけだ。
だが、これが至難の業(って私は見ていただけだけど・・)。
もちろん針が痛いし、ハリモグラの爪は強力で一度爪を立ててしがみついたらその力は凄まじい。

それでも、なんとか格闘の末、ハリモグラ君を無事リザーブの中に戻すことができた。
やれやれと安心したのだけれど、残念なことにあんまり急いで出たのでカメラを忘れてしまった。

その日以降、ダーリンと息子と私はキョロキョロ。
お散歩に出るたびに再びの邂逅を願って目をキョロキョロ、キョロキョロ、キョロキョロ。

そして、やっと、5月の初め、念願が成就。

いたもんね、ハリモグラ。
もうめちゃくちゃ嬉しかった。


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ハリモグラは日本ではあまり知られていないと思う。
かくいう私もオーストラリアに行くまで知らなかった。
シドニーオリンピックのマスコットにハリモグラが使われたそうなのだが・・・そうだったっけ?そういえば・・・


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タロンガ動物園で初めて見たときに一目惚れ。
家族で飽かずに眺めに眺めた。
でも、ハリモグラについて何にも知らなかったので、家に戻ってから調べた。

そしたらなんと!
大好きなカモノハシと同じ目(瞳の目じゃないよ)。
カモノハシ目に属するという。
カモノハシ目には、カモノハシ科とハリモグラ科しかない。
要するに、他には親戚がいない。

カモノハシ目は、オーストラリア区にのみ生息する。
りっぱな哺乳類のグループ。
卵を産み、卵から孵った子にお乳を上げて育てる。
尿道・生殖孔、肛門が分かれていない。
通り道がひとつなわけだ。
ああ、それで、単孔目とも呼ばれるのね、と納得。

くちばしのような口を持ち、そこからチョロチョロと長い舌を出す。
口は5ミリぐらいしか開かないので、長い舌を使ってアリやシロアリをお食事に頂く。

ちなみに、イギリスにいたとき大好きだったハリネズミ。
日本語で聞くと、ごっちゃになりやすいし、どちらもとげとげだから間違い易いけれど、
ハリネズミの方がハリモグラよりかなり小さい。

あーもうなんて、かわゆい。
ぎゅっと抱きしめたいけど、それだけは無理だな。


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Echidna (2009年 オーストラリア)










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オーストラリアに渡って2度目のクリスマス。

クリスマスにはつきもののお菓子ということで、クラスに参加して作ってみました。

お家の壁、屋根はジンジャーブレッドで出来ています。

これはキットがあって、組み立てればいいだけです。

そのお家を飾るお菓子のデコレーションが、各々の腕の見せ所。

みなさん、嬉々として、制作なさっていましたが、

私はひたすら、疲れました。 (;^-^)AA




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ジンジャーブレッド・ハウスは、元々、ドイツが発祥のようです。

あの有名なグリムの童話、「ヘンゼルとグレーテル」に登場するお菓子の家に由来しているとか。

今、現在では、ヨーロッパでより、アメリカで人気があるそうです。




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波打ち際を裸足で歩くのは、気持ちのいいものです。
足の指の間にムニュムニュと砂が進入してくるのを感じながら、
普段は気にもしない、指の一本一本を意識したり、
土踏まずに砂が触れるのが嬉しくて、強めに足を踏み下ろしてみたり…・・。

上質の木で張られた床張りを素足で歩くというのも、
何ともいえない心地良さを感じさせてくれます。
木肌から体全体にジワジワと柔らかな快感が染み入ってくるような感じ、
とでも言ったらいいのでしょうか?

裸足はとても気持ちのいいものです。

でも、オーストラリアのショッピングモールでそれを見た時は、
正直言ってびっくりしました。
街の中心にあるショッピングセンターです。
そこを、ペタペタと裸足で歩き回っているのです。

「え?」と始めは振り返りました。
去り行く後姿をしばし凝視したりもしました。

ところが、良く見ると、そういうお方、一人二人ではないのです。
あちこちにいる。
普通のオージーたちは、誰も気にしません。
はい。目もくれません。

気をつけて見てみると、ショッピングモールだけではない。
スーパーマーケットの中にも、カフェの中にも、もちろん、普通の道路でも…。

痛くないかな~?
熱くないかな~?
汚くないのかな~?
と余計な心配をするのは私ぐらいです。

ある日、スーパーにお買い物に行きました。
右にマイ・ダーリン。左にマイ・リトル・ダーリンを従えて。
ピタピタという音で、ふと足元に目を下ろしました。

裸足の足が、四つ。しっかり床を踏まえていました。











珈琲はお好きですか?

お店に行って、注文なさるのは何でしょう?

今なら、カプチーノが人気でしょうか?
それとも、口に含むと、シャキっとするエスプレッソですか?
ミルクのまろやかさが、疲れた心と体を優しく癒してくれるカフェ・ラテでしょうか?

今は、それ以外にも、種類はたくさん。
マキアートに、モカ…、各種のブレンド…

オーストラリアに行くまでは、いつも、カプチーノかカフェ・ラテを注文していました。
いつも、そのちょうど中間ぐらいのがあるといいなと思いながら。

初めてシドニーを訪れた時、メニューに見つけたのが、
フラット・ホワイトでした。
可愛いウェイトレスさんを捕まえて、聞いてみました。
どんなものですか?
「カプチーノとカフェ・ラテの間みたいな飲み物です」というお答え。

早速、試してみました。
これが、好みにぴったり。

カフェ・ラテほど、ミルクミルクしていないくて、カプチーノほど、あの泡泡がありません。見た目は、その双方とさして変わらないのですが、エスプレッソの強い苦味も感じられ、そこにほんのりミルクが寄り添い、なかなか、絶妙なる味わいです。

どうして、イギリスにはなかったのかしら?と思ったら、ここ、オーストラリア生まれとか。納得です。
今では大のお気に入り。
でも、残念ながらスペインにはありません。

オーストラリアにいらしたら、是非、一度。お試しください。





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「人種の坩堝」という言葉は聞いたことがあっても、もし、そうした場所で生活したことがなかったとしたら、あまり実感がわかないのではないかと思います。

今は日本にもかなりの数の外国の方がいらっしゃるようなので昔に比べれば異国の方にも以前ほど違和感を感じなくなったのではないかと思いますが、それでも、やはりNYやロンドン、カリフォルニア、或いは、オーストラリアほど多人種の方がいらっしゃるというわけではないのではないかと思います。

どんな感じなんだろう?というお答えになるかどうかはわかりませんが、シドニーでのある一日を紹介してみようと思います。

ある秋の一日、定期健診を受けてきました。
といっても、血液検査と乳癌健診だけですが…。
子宮癌検診は2年置きということで今回は免除でした。

朝一番で、検査専門のラボに血液の検査に行きました。
受付の方は、恐らく、オーストラリアの女性。
だと思いますが、白人ということ以外は定かではありません。
待合室の隣に座って本を読んでいらっしゃった女性は中国の方でした。これは本を横から拝見したので、間違いありません。

検査室に呼ばれて入りますと、中で待っていらっしゃった看護師の方はアジアの方でした。どこの国かは確定できませんが、東南アジアのどこかだと思います。彼女の発音が聞き取れなくてすぐに反応できなかったので、嫌な顔をされました。(ごめんね。でもお互い様なのよ)
検査室を出ると入れ違いに男の方が入っていきました。この方はアラブ系の方でした。

検査を終え、帰りにショッピングヴィレッジに寄りました。
いつも利用するイタリア人のピザ屋さんの前を通って、スーパーに。
レジの方はインド系の方でした。長く編み込んだボリュームのある髪がきれい。

車に戻る途上で郵便局のおじさんが手を振ってくれました。
この方は伺ったことはありませんがスラブ系の方だと思います。
恐らく東欧からいらしたのではないでしょうか?

一度家に戻り、午後、レントゲンやCT、MRIを専門に行うセンターに乳癌健診に出かけました。
受付の方はイギリス人でした。
一言二言言葉を交わした後に、突然ダーリンが、
「ノッティンガム?」と質問。
女性は「シェフィールド」と答えられました。
ダーリンはイギリスの方に会うと、大抵、こうして出身地域を当てています。
シェフィールドはダーリンと私が出会った場所です。
しばらくローカルな話に花が咲きました。

検査室に呼ばれて入ると今度の看護師の方もアジアの方。
でも、さきほどの血液検査の時の方とはお国は違います。
お顔を拝見しても、話される英語の発音を聞いてもそれははっきりわかります。この方はご自分がネイティブではないことを意識して話してくださるので助かりました。

マンモグラムでの検査を終えると、お医者様の触診がありました。
この方はたぶんオーストラリア人。でもお名前はどう考えてもドイツ系でした。

息子が学校から戻り、ひとしきり学校でのお友だちの話をしてくれました。一人は韓国人、もう一人はレバノン人、そして後の一人は南アフリカ人でした。

オフィスに行くと、ダーリンが電話中。お話し相手はスコットランド人でした。え、イギリス人じゃないの?なんて言ったら怒られますよ。

さて、最後に、夕飯の食卓を囲むのは、イギリス人と日本人とイギリス人+日本人。

とこんな感じです。







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初邂逅はシドニーのタロンガ動物園でした。

「何、これ?」

(今、思うとコモド君に大変失礼でした。ごめんなさい。)


「パパ~、パパ~、来て来て、変なのいる~!!!」

(完璧に差別です。すみません。)


説明書きを読み始める。

「とかげ?トカゲ?蜥蜴って、あのトカゲ?うっそ~!!」


その後、家族で、しばし凝視。

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世界で一番大きな蜥蜴で、平均、体長2~3メートルになるそうです。
体重は70キロほどとか。
今、現在、野生で発見された最大のものは体長3,13メートル、体重166キロと書かれていました。

肉食です。
大きなものでは、猪、鹿、水牛まで食べてしまいます。

ハンティングはその執拗さで知られていて、
最初の一撃でしとめられなかった場合にも
コモド君の歯にある50種類以上のバクテリアが感染し、
1週間以内には、さようならになるので、
その後、腐臭を辿り、お召し上がりになるそうです。


タロンガ動物園には家族で年間パスを購入して頻繁に通いました。

コモド君は私の大のお気に入り。
入園するといつもまず真っ先に会いに行きました。


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2010年3月20日、ダイビングの免許を取得して初めてのボートダイビングに参加した。

2人のインストラクター、10数人の参加者と一緒にボートに乗り込む。船長を含めて20名には至らない人数だ。

初めての経験というのは勝手がわからないからやはり緊張する。
船長の諸注意やインストラクターの指示に従ってダイビングの準備を始める。

器材を整えるためにはある程度の集中が必要だ。タンクを装着したり、そこから空気を得る為の器具を取り付けたりしなければならない。当然、注意は手元に行く。

普段は船酔いはあまりしたことがないのだが、この辺りから徐々に気分が悪くなり始めた。
とても手元を見続けていることができない。

乗り物酔いをあまりしない人でも、本を読んでいたりして酔いを経験することがあると思う。ちょうどその最悪のケースという感じだった。

仕方なくインストラクターにその旨を告げると、代わりに器材を取り付けてくれた。
何とかウエットスーツを着てタンクを背負ったものの、もう気持ち悪さは極限に達している。
船長やインストラクターがやってきて「ダイビングは諦めますか?」と聞く。
ここまで来てそう簡単に諦められない。

「いんや」と首を横に振る。でも歩くのもやっと。

「水に入ってしまえば気分もよくなりますから」という言葉を信じ海水に飛び込んだ。

その途端、左腕に痛みが走った。

ちょうど擦過傷を海水に浸したような痛み。何だろう?どこかで傷をつけたかな?と思い、見ようとしてみたが腕はもちろんウェットスーツの中。海にはまだ飛び込んだばかりだし、気持ちは悪いし、今ここで痛いと言ってもインストラクターはあっちの方だし、と思っているうちにインストラクターが船首の方に移動しろと言う。
とにかく船首に移動した。

と言う間もなく「では潜ります」。
ええい、ままよと潜り始めた。

海水に入ったら気持ち悪さはよくなると言っていたのにそれほど良くはなってくれない。
でも海の中に潜った以上、気持ち悪いからここで一休みというわけにもいかないし、多少は時間がかかるのだろうと我慢してみんなと一緒に遊泳する。

海の中は美しい。

見たこともないような海草や海藻、岩場や砂底が目の前に広がる。


でも、気持ち悪い。

誰かが指差した方を見ると、そこにウィーディー・シー・ドラゴン!
痛みも気持ち悪さも一瞬忘れてしばし見入る。

シー・ドラゴンに別れを告げ、遊泳を続けたが気分の悪さはなくなってくれない。もうこの辺が限界かもと言う辺りで仕方なく海面に上がった。

ダーリンに引っ張ってもらいようやく船尾にたどり着く。
そこから船上まで体を持ち上げなければならないのだがこれが至難の技。
とにかく、体も重ければタンクも重い。その上気持ちも悪いし左手は痛い。

やっと体を船上に上げてタンクの装備場所に腰を降ろしたけれどもとても身動きできない。

ダーリンに腕の痛みを訴えた。
ウェットスーツを脱ごうとしたけれども一人ではできず、ダーリンにやってもらう。ようやく腕を見ると、痛みのある手首辺りがやけどしたように赤くただれている。肘から下が痺れるようで意識が朦朧としてくる。
漣のように聞こえてくる周りの声で、どうやら「ブルーボトル」というものに刺されたといことがわかった。

あ、そうなのか。でも、それな~に?

とにかく痛い。そして気持ち悪い。と思っているうちにどうにも我慢ができなくなって思わず船べりにしがみついて嘔吐した。
吐き気と痛みでメマイがしそうだった。

船首に行った方が酔いにいいといわれ、ダーリンに連れられヨロヨロ、よれよれの体で船首にたどり着く。
左腕の激痛はそのまま。気持悪さはもう何が何だかわからない状態。

とにかく腰を降ろし深呼吸を繰り返した。
しばらくじっとしている。船酔いだけはいくらか軽減してきた。


空を見上げる。

果てしなく青く光に満ちている。

一片の雲もない。

カモメが翼を広げる姿が点々と見える。

旋回する度に羽の裏側の翳った部分が白さを際立たせる。


ほんの少し目を降ろす。

水平線が一分の狂いもなくきれいに線を引いている。

空と海の境には無限の時空が広がっている。


横たえた体を少しだけ起こす。

美しい層を織り成す岩肌が見えてきた。

幾重にも幾重にも岩石が連なり、様々な色合いで微妙な模様を作り出している。


ちっぽけな私の苦しみなどおかまいなしに世界は限りなく美しい。


大きなため息が洩れた。










カワセミは「空飛ぶ宝石」と呼ばれ、宝石の翡翠と同じ漢字を分け合うことからもその彩色の美が想像できます。
写真家の間でも人気が高く、色合いのみならず、飛翔の姿の美しさからも被写体として好まれているようです。



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イギリスにもこの「渓流の宝石」のファンはたくさんいました。

「Kingfisher」という名がついたパブに行ったことがありました。
重い二重扉を押して中に入ると、壁一面に翡翠の写真が並べられていました。
パブの中は暗いことが多いのですが、間接照明の効いたパブの中に飛翔する翡翠の姿は幻想的ですらありました。
しばらく見惚れて振り向くと、オーナーの方の満足そうな目と出逢いました。



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オーストラリアに渡ってからもカワセミと出逢いました。
今まで知っていたカワセミとちょっと違っていて、写真のモデルになるカワセミよりかなり大きく体色は茶系。Kookaburra と呼ばれるワライカワセミでした。



kookaburra



ワライカワセミと聞いて思い出すのは「わらいかわせみに話すなよ」というサトウハチローさんの童謡でしょうか?(知っていらっしゃる方はもしかして年がばれるのかしら?)たぬきのぼうやとキリンのおばさんとぞうのおじさんのことはわらいかわせみには内緒だよ、というあの歌です。

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/waraikawasemi.html


オーストラリアに着いた最初の朝、ワライカワセミの歌声を聞きました。
明け方、凄まじい声で大合唱が始まりました。
鳥の鳴き声というのは耳に心地よいものという認識があったのですが、その認識は見事に覆されました。
いやその凄いこと。

ワライカワセミが鳴くのは明け方です。あ、後もう少し惰眠を貪りたいな~というちょうどその頃の時間。
初めは正直に言って参りました。とても寝ていられません。
それでも、人間というのはどんなものにも慣れるのですね。
やがて、耐えられなかった歌声も、爽やかな目覚し時計とまではいかなくても、聞き流せるようになりました。

さて、その鳴き声、日本語では「ク、ク、クカカカ、クカカカカ・・」とカ行で表されることが多いのですが、英語表記では、ooh ooh AHH AHH AHH AHH AHHとア行です。

どちらが近いのでしょうね?

http://www.soundboard.com/sb/KooKaburra_sound_clips.aspx









生き物の生態について知るのはとても興味深い。
日本の友人がオーストラリアの国鳥、Emuについての番組を送ってくれた。


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ダチョウに似たような鳥というぐらいの知識しかなかったので、早速、息子と観賞した。

一番興味を引いたのは、Emuの子育ては雄が担うということ。
生物の生態についてそんなに詳しくないのでわからないが、
男親が子育てを全面的に引き受けるという生物はそんなに多くはないのではないだろうかと思う。

雌が産んだ卵を、雄は飲まず食わずで8週間も温めて孵す。
そして、その後、独り立ちできるまで18ヶ月の間、面倒を見る。
Emuの世界ではおとっちゃんは逞しいのだ。
子育ての途中で、親からはぐれた幼鳥に出逢ったりすると、その子もしっかり面倒を見る。
太っ腹でもある。


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じゃ、おっかさんはどうしているかというと、次から次へと相手を探しては卵を産む。
そのまま人間に当て嵌めたら顰蹙ものだろうが、Emuの世界ではこれで成り立っている。
異父兄弟がいっぱい!ということになる。

Emuはオーストラリアの草原や砂地にいるが、一箇所に留まることはなく、生涯、旅をして暮らす。旅の目的は食糧だ。
オーストラリアには砂漠が多い。
Emuの食糧となる昆虫、果実、種子はいつでもどこにでもあるというわけにはいかない。
それらのものが繁殖するには雨が必要だ。

Emuには雨を察知する能力がある。
遠くの雨雲に目を凝らし、そこに雨が降ると見定めると、長い長い旅を始める。
飛べないけど、走るのは得意。
時速70キロでひたすら走り続ける。
食べるために。

局地的な雨が降った後には草原が出現する。
花が咲き、実がなり、昆虫が群れる。
Emuにとって、美味なるレストランの開店だ。
開店サービスも終わり、レストランに在庫の食料がなくなると、Emuは次の雨雲に目を凝らす。

こうしてEmuは生きるための放浪を続ける。

う~ん、さすらいのEmu、カッコイイ~。

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オーストラリアに来るまで、アボリジニのことなんてなにも知らなかった。

知っていたことっていったら、オーストラリアの先住民族であること、ブーメランを使う、ということぐらい。

と言っても、日本人でありながらアイヌの人々のことだってほとんど知らないが・・・・。

住み始めてから4ヶ月した頃「建国記念日」がやってきた。

「へぇー、建国記念日、そういうのあるんだ」と思い、
メディアを覗いてみると、あっちこっちで盛大なお祭りが開かれる。
来たばっかりだったこともあり、どんなことするんだろう??と興味が湧いた。

でも、そもそも建国記念日ってどうやって決めたの?

建国記念日は1月26日。
その日は、1788年にイギリスから最初の移民団が入植した日だ。

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ちょっと待って。
それって、イギリス人から見れば入植だけど、アボリジニー側から見れば侵略の日じゃないの?
その日を記念してお祭りするの????

無知を自慢していても仕方がないので、アボリジニーの歴史をちょとだけ勉強してみた。
びっくり。
あんぐりの歴史。

大量虐殺に始まり、
アボリジニ狩りというカンガルー狩りと同じような殺戮、
毒殺(井戸の水に毒を盛って!)、
強姦、
奴隷化・・・・
イギリス人はアボリジニーを全く人間扱いしていなかった。

殺戮の後行われたのが「保護」という名のもとの収賄と経済的、性的搾取。
家族は離散され、言葉は奪われ、白人の習慣が強制された。

1920年代になると「保護」政策が「同化」政策へと転換する。
家族を解体し、アボリジニーの子供達に”教育”を受けさせるために公共機関へと収容した。

この世代を、「失われた世代」と呼んでいるらしい。
シドニーオリンピックで開会式の最終ランナーをつとめたキャシー・フリーマンのおばあちゃんはその世代だと言う。
結果、おばあちゃんは、自分の本当の名前も誕生日も生誕地も知らない。

ため息がでた。

今年ももうすぐ建国記念日がやって来る。





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