年老いた私が、ある日、今までの私と違っていたとしても
どうかそのままの私のことを理解して欲しい
どうかそのままの私のことを理解して欲しい
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい
あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい
あなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返しても
その結末をどうかさえぎらずにうなづいて欲しい
その結末をどうかさえぎらずにうなづいて欲しい
あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は
いつも同じでも私の心を平和にしてくれた
いつも同じでも私の心を平和にしてくれた
悲しい事ではないんだ 消え去ってゆくように
見える私の心へと 励ましのまなざしを向けて欲しい
見える私の心へと 励ましのまなざしを向けて欲しい
楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい
お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい
あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを
いやがるあなたとお風呂に入った 懐かしい日のことを
悲しい事ではないんだ 旅立ちの前の
準備をしている私に 祝福の祈りを捧げて欲しい
準備をしている私に 祝福の祈りを捧げて欲しい
いずれ歯も弱り、飲み込む事さえ出来なくなるかも知れない
足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったなら
足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったなら
あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい
よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい
私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど
あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど
私を理解して 支えてくれる心だけを持っていて欲しい
きっとそれだけでそれだけで私には勇気がわいてくるのです
きっとそれだけでそれだけで私には勇気がわいてくるのです
あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように
私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい
私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい
あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい
あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい
私の子供たちへ
愛する子供たちへ
この歌を初めて聴いたとき、
「あ、あの詩だ・・」と思い出した詩があった。
随分以前に読んだもので、確か、動画も一緒だった。
とてもとても感動したのだけれど、なぜか残して置くことをせず、わからなくなってしまっていた。
ただ、母を介護する中で、何度となく思い出していた。
なので、この歌を聴いた時はとても嬉しかった。
樋口了一さんの歌としてWikiに載っていた。
『手紙〜親愛なる子供たちへ〜』
樋口了一の15thシングル。
以下のように説明されていた。
「元の歌詞はポルトガル語で書かれており、作者不詳(読み人知らず)。
樋口了一の友人、角智織の元に偶然届いたチェーンメールに詩が記載されていて、
この詩に感銘を受けた角が詩を翻訳、樋口に見せたところ樋口も感銘を受けたため、
曲の制作・発売に至った」
私が最初に見た記事と動画は英語で書かれていた。
どうしても、それを見つけたくなって、検索してみた。
そして、見つけた。
嬉しかった。
この動画での注釈によると、
詩は、Guillermo Peña というスペイン人の方。
そして、英語に訳されたのは、Sergio Cadenaさん、Spring in the Air という会社の創設者。
2012年、母の日に、この会社のFBのページに投稿され、
僅か2日で、世界中の2,200万人の人々に届いたという。
樋口さんの歌が、ポルトガルの作者不詳の詩が元になっているのか、
或いは、私が見つけた、この動画と関わりがあるのか、
私にはわからない。
ただ、それは私にはどちらでもいいこと。
私にとっては、どちらも素敵な歌であり、素敵な詩。